大連概要
| 地理 遼東半島先端部に位置し、西は渤海湾、東は黄海である。海を隔てて山東半島を臨む。 緯度は、ほぼ北緯39度上にある。この緯度付近には、日本の仙台市、アメリカ合衆国のサンフランシスコ市、ワシントンD.C.、ギリシャのアテネ市がある。
|
|
||
| 行政 遼寧省では省都の瀋陽市に次ぐ大都市である。大連市政府は中山路の人民広場の北側の主要ビル(もとの関東州庁)および市内各地のビルにある。その組織には、商業局、外国経済貿易局、衛生局、情報(信息)産業局、警察(公安)、宗教、科学技術局などがあり、区レベルの該当部署とも連絡を取りながら事務を司る。大連市の最近の産業政策としては、2003年に「大・大連計画」を発表し、4つの基地(石油化学工業、造船工業、現代設備製造工業、電子産業基地)と1つの中心(航運中心=物流センター)になるように勤めていて、2004年には「旅順南路ソフトウェア産業帯」を発表し、大連ソフトウェアパーク第2期などを進めていて、また渤海に浮かぶ中国北部で最大の島といわれる長興島の開発も進めている。
|
|
||
行政区画
|
|||
|
旧来からの大連にあるのが、中山、西崗、沙河口、甘井子の4区であり、俗に「市内4区」と呼ばれている。[1] 中山区は大連駅から東側の旧市街で、中山広場、大連港などがある。西崗区は駅の西側の旧市街で、市政府(=市役所、旧関東州庁)等がある。沙河口区と甘井子区はもともと住宅地区であったが、大連周水子国際空港、大連高新技術産業園区、大連ソフトウェアパークもあり、近年商業化・市街化が進んでいる。
北郊外の金州区(開発区・保税区を含む)と西郊外の旅順口区は、それぞれ金州駅・開発区金馬路と軍港近くの市街区域以外はほぼ農村・漁村で、そこへ大学・工場が建設されている。 普蘭店市、瓦房店市、庄河市の北方3市は普蘭店駅、瓦房店駅、庄河市街区を除いてはほぼ農村・漁村であるが、工場の進出も始まっている。長海県は黄海に浮かぶ諸島で大連港と皮口からフェリーが運行している。 上記の通り、大連広域市は区・市・離島を含む行政区域の構成をしており、広域市全体の人口は600万弱。また、戦前の日本租借地(関東州)は、現在の大連広域市の南半分で(ほぼ普蘭店駅と皮口を結ぶ線の南側)、現在のほぼ6区の範囲に当たり、北方3市は満州国に属していた。 なお、経済発展の牽引役をさせるため、国家級対外開放区が4か所、開発区・保税区・高新技術産業園区(ハイテクパーク)・金石灘国家観光渡暇(リゾート)区として設けられているが、行政単位ではない。 |
|||
歴史 魏晋の時代には三山と呼ばれ、唐代には三山浦、明清時代には三山海口、青泥?口と称した。1880年代に清朝が大連湾北岸に砲台を築き、ようやく都市が形成され始めた。日清戦争後の1898年、三国干渉の代償として、清から関東州(大連、旅順など)を租借したロシアが、東清鉄道の終着駅を設け「ダーリニー」(Дальний;
「遠い」)と名づけた。旅順にある艦隊と要塞の物資をまとめるため、また貿易の拠点として、港の整備とパリをモデルにした都市づくりが始まった。 しかし、1904年に勃発した日露戦争により、同年5月末には日本軍が無血入城を果たし、戦後の1905年ポーツマス条約により日本に租借権が譲渡された。日本は古地図に見られる中国語の地名「大連湾」からとった「大連」を都市名として採用した。これはロシア名のダーリニーと発音が似ていることにもちなむ。
ロシアの租借地時代は、現在の大連駅から東側の区割りとごく一部の建築物ができた状態であった。日本は、大連を貿易都市として発展させるため、関東都督府と南満州鉄道にインフラの整備を続行させた。その結果、道路のアスファルト舗装や、レンガなど不燃建築物が立ち並ぶ町並みができあがった。昭和初期には現在の大連駅とその駅前一帯が整備され、旧市街がほぼ現在の形になる。この時代の大連に関しては清岡卓行の、『アカシヤの大連』をはじめとする一連の作品群において描かれていることでも有名である。 第2次世界大戦末期の1945年、日ソ中立条約破棄によりソビエト連邦軍が対日参戦。このときにソ連は大連を占拠した。同年9月に戦争終結後も、中ソ友好同盟条約に基づきソ連は大連港を旅順港や南満州鉄道と共に引き続き管理下においた。中華人民共和国に返還されるのは1951年のことである。もっとも、このために、国共内戦では 国民党側の支配下に入ることはなく、終始共産党側にあった。 1951年に旅順市を合併し、旅大と改称したが、1981年に元の大連に名前を戻している。 1990年代の改革開放経済のもと、中国東北部の中でも特に目覚しい経済的発展を遂げている。 |
|||
経済 大連はもともとは農業・漁業が主体の土地であって、いまも農業ではトウモロコシ、野菜、リンゴ・サクランボ・モモなどの果物の栽培が盛んである。漁業は特に盛んで、現在は各種の海水魚の捕獲、コンブ・ワカメ・帆立貝・ウニなどの養殖が行われ、日本・韓国への輸出も多い。
大連は日本統治時代から造船(大連汽船)、鉄道車両の製造(南満州鉄道の沙河口工場)などが存在したが、戦後、重・軽工業、化学工業も盛んになった。貿易港として発展した経緯から、流通業も盛んで、中国の主要流通業者の支店がある。大連は中国第3の港湾都市で、大連港は中国東北地方の代表的な港で、中国最大の石油輸入港でもある。過去には世界銀行の援助も受けながら整備が進んできた。2003年の輸出総額95.3億米ドル、輸入総額77.7億米ドルであった。2005年北郊外の大孤山半島で最新港(おもに鉱石・石油の輸出入)の使用も始まっている。東北地方への鉄道の出発点である大連駅、大連国際空港、高速道路網と相まって、大連は巨大な流通センターとなっている。 1978年に始まった改革開放政策の一環として、1984年に北郊外の金州区の東半分が「大連経済技術開発区」に指定されて、外国企業、特に日本企業(東芝、三菱電機、三洋電機、日本電産、キヤノン、マブチモーター、三島食品など)、次いで韓国企業、欧米企業(ファイザーなど)の進出が著しい。これに連れて、在留邦人数も約4,000人前後を数える(2006年末)。また、2006年には、インテルが2010年上半期を完成目標に、中国で始めての大規模半導体工場を開発区に建設することが、発表されている。 大連には中国の5大銀行(中国銀行・中国建設銀行・中国工商銀行・中国農業銀行・中国交通銀行)や招商銀行・光大銀行などの支店(支行・分行)がある。大連市商業銀行は大連銀行と改名され、公共交通機関用の明珠ICカードの販売など市と密接した業務を扱っている。外国銀行では、三菱東京UFJ銀行、みずほコーポレート銀行、山口銀行、山陰合同銀行、北洋銀行、東亜銀行(BEA)、HSBC(中国語名は匯豊銀行)などの支店もある。日本のJCBカード、損保ジャパン(中国語名は日本財産保険)の中国本部も大連にある。大連商品交易所は中国で唯一の商品先物市場で、大豆などの穀物から他の商品へ拡大中であり、金融業界のオペレーションを集めて、大連金融街の建設が始まろうとしている。
大連市は1990年代からIT産業育成に力を入れており、西郊の大連高新技術産業園区(高新園区) と 大連ソフトウェアパーク(大連軟件園)に中国のIT企業の開発拠点があるだけでなく、世界のソフトウェア開発・情報サービス(データ入力・コールセンター・業務引き受けなど)関係の企業、NEC、松下電器、ソニー、CSK、アルパイン、オムロン、トライアル、デル、hp、IBM、SAP AG、GENPACT(GEのIT子会社)、NHST(韓国・NHNの日本法人子会社)などが進出している。 |
|||
交通
|
|||
観光地市内4区
金州区・開発区(北郊外)
旅順口区(西郊外)
普蘭店市、瓦房店市、庄河市(北方3市)
※フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』引用。 |